【難儀】バイクに乗り続けるということ

おはレーニア。えびです。

バイクに乗り続けるということ。まぁ特に前置きもないですが、思うところをつらつらと書いていきますので宜しければどうぞ。

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前回の呟き➡︎【何を求めるのか】バイクに乗るということ


①:降りるタイミング

えびさんがバイクに乗り始めたのは16歳。そこから途切れる事なく乗ってきましたが、周囲の環境の変化と共に降りていく仲間も大勢見てきました。大まかに分けるとバイクを降りる理由としては以下ではないかと。

  1. 18歳になり車でイキる
  2. そもそも飽きた
  3. 経済面
  4. 進学、就職等の環境の変化
  5. 結婚
  6. 子供
  7. 事故による怪我や廃車

16歳でバイクに乗り始めた時の仲間は車の免許を取って降りたり、大学時代の仲間は就職のタイミングで降りたり、働き始めて乗る時間がなくなって降りたり、結婚したタイミングで降りたり、子供が出来て降りたり。時間が過ぎていく度に、歳を重ねていく度に降りる人がいて、新しく乗り始める人が居て、また降りる人がいて。それの繰り返しかな。「一生乗るぜ!」と息巻いていた彼があっさりと降りたり、「いつか死ぬな」と思っていた彼女が未だに乗り続けたり。

糞ゴミみたいなやつはいっぱいいたけど、黙って走り続けていたら、消えていた。


②:乗り続ける理由

モチベーションや目的、それによって降りる理由も乗り続ける理由も人それぞれ。降りて行った仲間にとやかく言うつもりもなく、乗り続けている事が偉いとも思っていない。ただ自分自身が乗り続けたいと思っていて、上手くいかないことだらけだから、一方通行にずっと乗り続けている人は憧れるし、身がよじれる程羨ましい。

金銭面の不安、仕事学業との均衡、家族が子供が出来て守るべきものが出来た責任、怪我して元通りに動かない身体への焦燥、その全てと葛藤しバイクに乗り続けるという選択をして。だからこそ、「まだ乗ってんの?」と親戚のジジイみたいな事をいうやつには「うっせぇわ!」と。理由なんて「バイクに乗るのが楽しいから(脳死)」しかないので聞くなと。そこまでして乗りたい?、そこまでして乗りたい。そこまでの価値がある?、そこまでの価値がある。


③:降りたくなった時もあるのよ

働きだして生活する環境も変わって、走る環境も変わって、仕事も上手くいかず、バイクも上手く乗れず。それでも自分で選んだ道だから気張って走って、変わらないのはお金の減り方。ガキの時分と違って将来の事も考えていって、だんだんと走る事が億劫になって、練習日が近づくと憂鬱で、中止になったらホッとっして。だけど走らない事で下手になるのが怖くなるジレンマ。

好きで始めた事が嫌いになったんだな、と気付いた時にはもうバイクも見たくなくなって。紹介してもらったRもバックレて。職場も変わって引っ越して、環境が変わって走り出して、けどやっぱりダメで。だけど「走る事を辞める」という選択をする度胸もなく。言い訳が欲しくて、「それは仕方がないね」と他人に言われる理由が欲しくて、何よりも大事にしていたはずなのに「バイクを盗難されたら理由になるな」と考えたり、走りたくても走れない人を見てきたのに「身体ぶっ壊したら走らなくていいな」と考えたり。もう何もかも嫌で、降りる理由を探し続けて自己嫌悪。

そのまま倉庫の肥やしになって終わるんだな、と思ってダラダラしていたら今の妻と出会って。バイクのバの字も知らない妻が、倉庫に眠っているバイクを初めてみた時に「かっこいいじゃん」と言ってくれて。「あー、かっこいいと思って買ったんだ」と思い出して、久しぶりに火をつけたら悩んでたのが馬鹿馬鹿しくなって、何も知らない妻からは「好きな時に乗ったらええんでない?」と当たり前の事を言われて「確かに」。そのままバイク積んで、また走り出して。

今、怪我をしてそれでも乗り続けたいと今も思えるのは妻のおかげ。たぶん昔のままだったら「仕方がないよね」と嬉々として言い訳掲げて降りてたのかも。考えるだけで嫌いだわ。だけど、今でも少しホッとしている自分がいるのも自己嫌悪。普段、バイクが好きだと声を上げているのも8割は本音。ただ残りの2割は自己暗示ではないけど、言い聞かせているのかも。

まぁ、まだまだこのゲームから降りるつもりもないけど、馬鹿みたいに勝手に悩んで自爆しかけてた時期があったなと思い出しただけ。馬鹿が考えても碌な事ないので黙って走るべしだね。


えびお。

(走るというゲームに全てをベットした)

続編➡【てめぇで決めろ】初心者のバイク選び

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