バイクは使ってなんぼ 、 魚も釣ってなんぼ

おはレーニア。えびです。

最近のレーニア。

特に何もないです。

※本ブログの収益はマウントレーニアの養分と恵まれないTwitter峠の子羊ちゃんのサーキット道具費用となります。

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前回の呟き➡一番不向きな役職で出世は止まる


①:バイクは使ってなんぼ

仕事やら諸々忙しく、身体も芳しくないので最近バイクに乗っていませんね。

それでも最近はバイクに触る機会を作る為に、定期清掃を行っています。ただふきふきして綺麗にするだけなんですけどね。

私自身、バイクは綺麗にしていると自負しております。ただ、巷ではホイールや外装など「ほんの少しの傷も許せない」という人もいますよね。タイヤ交換を依頼したらガリ傷が付いた、走行していたら飛び石で傷がついた。当然のことですが、作業中の傷は作業者側に非がありますし、飛び石は前走車に非があります。ただね、怒りのツイートしている人の写真を見ると、その程度の作業傷が気になるなら自分でやれよ、その程度の飛び石が気になるなら籠ってろ、と思ってしまうわね。

所詮、バイクなんて機械で道具なんですよね。動かして、走らせて、使ってなんぼだと思う訳です。それに伴う傷を使用感として受け入れられない人って案外いるんだなと。まぁ、そこは個人の自由なので他人にとやかく言いませんが・・・。

新車のバイクは走り出した瞬間から、新車レベルは落ちていく。新車の状態を目指そうとすればするほど、ピークを維持するだけになってしまう。バイクは使って走らせる事で、味が出て育てる事が出来る道具だと思うんだけどね。

シェイクダウン前のレーシングマシンと、走行後のレーシングマシンでは雰囲気が雲泥の差。

私が目指しているのは後者。

綺麗なんだけど、歴戦の味があるレーシングマシン的なバイクをね。


②:魚も釣ってなんぼ

最近ツイートをしておりますが、過去ブラックバス釣りをしておりました。

昔は毎年地元のダム湖で開催される大会に参戦しておりました。子供の頃からずっと続けていましたが、モータースポーツに専念する為、22歳の頃にバス釣りは引退。資金調達の為に道具は全て売却。

画像

それでもたまには魚を触りたくて、安い道具を必要に応じて買って遊んでいました。最後に釣りをしたのは5年程前。最近再熱して遊んでいます。真剣に遊んでいたので正直言ってバイクより得意です。釣りも車も何かしら結果を得る事が出来ましたが、何故か一番好きなバイクでは永遠ポンコツ。

バス釣りは疑似餌を使ったスポーツフィッシング。自分の技術と経験と勘で勝負する世界が好きでした。私が思う釣りのいい所は「誰でも上手くなれる」という所。私はキャストも下手くそで、細かい技術もないですが、魚を捕まえるという分野は得意だったと思います。魚の習性を学び、水質を学び、農業を学び、気候を学び、地形を学び、人工ダムの建築を学び、どのようなシチュエーションでどのようなアプローチをしたら釣れるのか、それを考えてきました。まずはフィールドを見て、そこから得る情報を纏めていく。疑似餌を投げて、食わせて釣り上げる。それは一番最後の最後。そこに至るまでのロジカル的な事は技術は関係なく、ただ勉強と経験の積み重ね。だから、釣りなんて誰でも上手くなれる。

勿論、運と呼ばれるものはある。ただ、運と勘は似て非なるもの。入って見たフィールドの景色、雰囲気、匂い。過去の経験から理由はない直感でタイミングを掴める事は多々ある。それを運というか、研ぎ澄まされた勘というか。

自然相手の遊びだからこそ、どこまで人為的操作を残して消せるのか。疑似餌での競技であっても、普段の釣りでは生餌を使用する。それは生餌に対する魚のリアクションを確認する為。生き餌のように擬似餌を動かすのではなく、生き餌に対してバスがどのようにリアクションするのかを観察する。どのようなタイミングでスイッチが入るのか、疑似餌に対するリアクションと何が違うのか。生餌が生きている間は反応する魚も、生餌が死んでしまうと反応しなくなる。動きやアクションとは違う、生命的なスイッチがある。

だからよく生き餌を使ってバスを釣ったり、動きをみたり研究してた。それをみてどのようにアプローチするのか考える。けど邪道だ、餌で釣った魚に意味がないだの言われる。わたしゃ関係ない。競技として擬似餌で釣れるようにに、普段は生き餌を使う。

バス釣りの世界記録は栗田さんという日本人。琵琶湖で捕獲されたブラックバスのサイズは10kg over。けどそれは生き餌で釣られた魚。

ブラックバス 写真

当時は色々言われてた。擬似餌でないと意味がないと。けど栗田さんは世界一のバスを釣るという目的だけで釣りをしてきてる。その結果で生き餌を使っているが、それはただ一つの選択肢。生き餌では今でも邪道だと言われる。それだけでなくセオリーという毒も根深い。冬はトップは釣れない。朝マズメ夕マズメ。セオリー通りやっても結果は出る。けどそれ以上は他人との差がでない。それ以上の差は経験やテクニックや直感。バイクでも同じかもね。

また、生餌を使う理由として魚を触れるという事もある。なぜ、釣りをするのか、それは魚を釣りたいから。どんなアングラーでもそれが覆ることはない。魚が釣れる事で感覚は研ぎ澄まされていく。悩んで悩んで何とか一本釣れた人はその残像に固執する。人は固執する生き物で、その釣れた記憶と残像が枷になる。目の前の風景を見てアプローチを考える事を放棄し、過去釣れた残像で同じ事をしたがる。残像に固執する事と、経験に変えて勘を研ぎ澄ます事は違う。

魚を釣り続ける事で感覚が研ぎ澄まされていく事を、フィッシングスパイラルと呼ぶ。噓だけど。

なんて事を考えてた夜。


腰痛で脂汗ダラダラ。

えびを。

続編 ➡ 【安全運転②】逃げるが恥なら死にさらせ

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