【0指針】走るという事part1

おはレーニア。えびです。

新カテゴリ「えびの0指針」で御座います。

今回は記事というより、モータースポーツを通じて習ってきた事、考えてきた事をまとめてみます。賛否あるかと思いますがこんな考えもあるのかと参考になれば。心構え、”0指針”として。

“えびの呟き”でまとめる程の内容でもないな、という呟きを小分けにして消費してきます。より詳しく書きたくなったら“えびの呟き”でリメイクしていきます。

またつらつらと書いていきますので、マウントレーニア片手にお付き合いくださいませ。

※本ブログの収益はマウントレーニアの養分と恵まれないTwitter峠の子羊ちゃんのサーキット道具費用となります。

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えびの呟き→【安全の証?下手の証?】みんな大好きアマリングについて


①:速いことは凄いことだが、偉いことではない

これは一番はじめに私が習った0指針です。臭い事を言いますが、チンドンキッズだった私はモータースポーツで礼儀礼節を習ったと思っています。それは他のスポーツに比べて危険度が高く、各々の安全意識が伴って安全性が高められているからだと思います➡【サーキットは安全?】ルールとマナーについて。しかし、そんな事は関係なしと言わんばかりの人も組織も数多くいるのが残念ですね。

昔から調子に乗るな、相手にコースに敬意を持てと口酸っぱく言われてきました。速いことは偉い事ではない。この言葉も全て受け入れている訳ではないです。やっぱり速い方が偉い!と少しは思ってしまいます。ただ、この言葉がカッコよく、生き様としてカッコよく、心に宿しています。

この言葉には単純な意味としてではなく、結局は敬意を持てと言われているのです。後はどんな下手くそでも現役で今を走っている人が一番だと思っています。走らなくなった人は一歩引いて、そこは相手を立てる。部活でもOBが出しゃばったら地獄絵図ですものね。


② : 当事者になりたい

バイクに乗り始めてモータースポーツを始めた理由は「速くなりたい」それだけでした。少しずつでも速くなっていく事を体感すると、なんとも言えない高揚感。これは昔からなんでもそうでした。他の趣味でも他人と競うこと、競技に取り組む事が好きなんです。

それは当事者になりたいという思いかと思います。何歳になっても「高校球児」に特別感を抱く感情に似ているのかもしれません。私は特に野球には興味がない、というより嫌いです(元野球少年ですが・・・)。それでも高校球児の甲子園を目指す姿には心を打たれる訳です。

直向きに頑張っている人たちに対して、頑張る事がダサいだの言う外野は論外ですが、アルプス席に座って何故か泣いていたり、感動を有難う等言う人も理解が出来ません。私は感動も達成感も当事者しか味わえないと思っています。観てるだけの感動はすぐに消えますが、当事者の感動は一生消えません。なので目標に向かって頑張れる訳です。当事者意識を持つ、という言葉も好きではありません。当事者以外に分かる事なんてないと思っています。

なので、全て体験した事しか語りません。その分それが間違っていたとしても胸を張って言えます。「こうだろう」ではなく「私はこう思った」と言えるのが大きな違いかと。なので、私は何にしても当事者になりたい、経験をしたいと思う訳です。

今はB-kingに乗ってみたいです。


③:本気になるということ

フォロワーさまのツイートを見て考えてみました。

本気になる、真剣に取り組むという事が私は好きです。抽象的かもしれませんが、人それぞれ目標が異なりますので、まずは自分の中で真剣に取り組むことが大事ですし、他人と比べる必要はありません。

それ以上に、本気で取り組む事よりも、本気で取り組まない分野にこそ気を付けるべきだと思います。自分の中ではどうでも良い事でも、誰かの中では大切な分野であるという事です。なので自分が真剣に取り組む分野を大事に、尊重する事は当たり前の事ですので、自分が一歩引いている分野でこそ大事にして尊重すべきなのです。

私が個人的に取り組んでいた分野は大したことがないのかも知れない。しかし、そこに対して馬鹿にされたり、意味がないだの言われるのも腹が立ちますが、真剣に取り組まず、ふざけた事をされる事が一番許せません。単純に侮辱されたと感じてしまいます。

なので、真剣に取り組むという事は、他人の分野でこそ配慮し尊重すべき事であると思います。


つづく(かも)

えびお

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